【モイライワルツ】
いかつい顔をした太陽が幾分疲れたような様子で西の空に引っかかっている午後4時半。
かみさんが出張中なんで娘のお迎えに行きたい、という理由で連日早退できる職場というのはなかなかないらしいが、死神様はいつもの調子で笑って許可してくれる。
死武専には子を持つ職員や事情で引き取って面倒をみている子ども達のための附属施設があり、俺のかわいい愛娘もそこに通っている。5歳ともなるとそれなりに女の子らしくなり、毎朝登園前に髪を結うゴムひとつにも好みや気分が出るので時間がかかる。俺のおみやげリストもおもちゃと絵本の他にヘアゴムやヘアピンが追加された。
子どもが喜ぶような可愛らしい装飾が施された鉄門をくぐると、園児サイズで作られた遊具と広場とレンガ造りの園舎が迎えてくれる。この時間に迎えに来る保護者はあまりいないようで、しかも男親となると珍しい部類に入るらしい。
園庭で遊んでいた子が俺に気付いて手を振ってくれる。無邪気な顔がなついてくれるのはうれしいけど、幼児ばかりだからと油断していると視界の外から元気の有り余っている子の不意打ちを喰らうこともしばしばで気が抜けない。
娘が生まれた日に死武専に引き取られた少年なんて本当に容赦がないから、他の子と話すため目線を合わせて屈んでいる時に後ろから的確に急所を狙ってくる。俺も錆びついているとはいえ一応最低限の戦闘技術は学生時代に学んでいたので、とっさに返り討ちにしそうになって危険だ。もっとも不意打ちさえなければ、俺の膝上ほどの背丈しかない幼児なぞどうということはないから、片手で頭を軽く押さえられて悪態をつきながらじたばたと足掻く姿はまだまだかわいい。職人の資質を持っている子だから将来が楽しみですらある。
そんなおふざけの洗礼を受けていると、俺を見つけた担任の先生から促されて、かわいい愛娘のマカが帰り支度を終えて教室から出てくる。
最強の武器デスサイズがただの父親になる瞬間だ。
今日もふたり仲良く手を繋いで帰る。小さな手でしっかりと俺の人差し指と中指だけを握り締め、今日あったことを楽しそうに報告しながら。
「ママからおでんわきた?」
「まだだよ。お仕事頑張ってるんだね」
「おけがしてないといいけど」
「大丈夫さ、ママはすごい職人なんだから」
「わたししってる。みつぼししょくにんっていうんでしょ」
「はは、マカは賢いね」
今日の夕飯はマカの好きなオムライス。
スーパーで買い物をして、家路に着く夕暮れの中、携帯電話が鳴る。
仕事が終わったので明日帰るという、かみさんからのメールだった。本当はマカの声が聞きたいだろうに、今回の仕事は電波が繋がりにくい土地なのだろう。
添付された写真を見せながら読み上げてやると、マカが輝くような笑顔になる。彼女は聞き分けがいいから表には出さないが、やはり母親が家を空けているのは寂しかったようだ。
笑顔のマカを写真に収め、労いの言葉と共に返信する。明日の夕飯は家族三人で囲めるだろう。
幼い娘がひとりになってしまうから控えていた大人の付き合いも解禁だ。
「ねえパパ」
「なんだいマカ」
「ママはパパをデスサイズにしたのよね?」
「そうだよ」
「わたし、おおきくなったらママみたいなしょくにんになりたい」
「そうかーがんばって。マカならなれるよ」
小さな頭を撫でてやる。
「うん」
満面の笑顔。
利発で頑張りやなこの子なら、きっと立派な職人になれるだろう。
親バカと笑われても構わない。だってこの子は俺の娘なんだから。
「しょくにんになって、パパみたいなかっこいいぶきをつくるの」
「それは楽しみだな。どんな武器がパートナーになるだろうね」
「かまよ。マカはママとおなじかましょくにんになるの」
「あはは。マカ、パートナーの武器は魂の波長があう相手を見つけないといけないから、鎌とは限らないんだよ」
「たましいのはちょう?」
「うん。魂の波長があって初めて、職人は武器を持つことができるんだ」
マカが眉根を寄せて難しい顔をする。小首をかしげるしぐさに左右で結わえた柔らかい髪が揺れた。
「まだマカには難しいか」
思わず苦笑する。いくら聡い子でも、こんな幼い子どもにする話じゃないな。
遊ぶ姿のなくなった公園の前を通りかかった時、ふと俺の頭にあることが閃いた。
「マカ、パパとダンスしようか」
「ダンス? ここで?」
「うん」
ベンチにスーパーの袋とマカの鞄を置き、開けた場所で相向かいに立つ。
胸に手を当てわざとらしいほど大仰に小さな淑女へ礼をすると、スカートの端を持ち上げてポーズを返してくれる。
マカの両指先を掌に掛けて吊り上げるように浮かせ、リボンのついた小さな赤い靴を倍の大きさはある俺の革靴の上に乗せて、バランスを取りながらくるくるとふたりでステップを踏む。まだ正式なダンスなど判らないマカとの、ふたりだけの適当なステップ。
いつか大きくなって俺じゃない相手と踊るのかな、と考えるたびに、鼻の奥がツンとしてくる。生まれた時からいつかはくるんだということは判っているけど、慣れるようなものじゃない。だからという訳ではないが、いま俺にできることは何でもしてやりたい。
そっとマカを脚から下ろすと、今度はマカの掌を上向かせ、そっと指先を乗せる。
「そのまま、自分でステップを続けてみて」
身体に残った動きをトレースするように、ぎこちなくマカが足を運ぶ。
マカを中心にして回り込むように動きながら、俺は少しずつマカの内側と波長を合わせていく。
繋いでいた手から温かいものが流れ込んできて身体が軽くなっていく様子に驚いたようだが、見開かれた瞳はすぐに笑顔になる。これは心地良いものなのだということを感覚で理解してくれたようだ。
普通は何の経験もない人間がいきなり魂の波長を合わせるなんてことはできない。血の繋がった親子だからできるかもしれないと思っただけの、単なる思いつきだった。
「マカ、判るかい。これが魂の波長だよ」
「うん。あったかい」
「武器と職人はこうやってお互いの魂を感じながら強くなるんだ」
俺には魂を見ることはできないけど、制御した俺の波長を受け止め返してくる小さく芯の強い魂の波長を感じる。いい調子だ。これならできるかもしれない。
片手でマカの頭をやさしく撫でると、マカに怪我をさせないようゆっくりと、意識を切り替える。
まず下半身がゆらりとぼやけて黒い塊になり、マカの手の中で彼女の背丈の倍以上ある長い金属の柄に。
頭を撫でていた大きな手と笑顔は十字のかしらに。
驚きで見開かれる、俺と同じ色を湛えた大きな瞳。
まだ平和の中で生きている愛娘に魂を刈り取る血塗られた姿を見せることには抵抗があったし、今の俺は普段戦うことはない身だから、この姿を実際に見せたのは初めてだ。
黄昏のなか、くるくると回る幼い少女の手に、黒くて長い大きな十字架が握られた。
「パパ・・・?」
『驚いたかい?』
「うん。でも、きれい」
きれい。破壊しか生み出さない魔武器であるこの俺が、この子の眼には美しく映るのか。
武器の俺のことを美しいと言ったのは、かつてのパートナーと死神様だけなのに。
『ありがとう。重くない?』
「ぜんぜんおもくない。こんなにおおきいのになんで?」
『魂の波長を合わせているからだよ』
「すごいね。でもパパ、かまじゃないよ?」
『まだ刃は危ないから、もっと大きくなったらね』
「やくそくよ。わたしがおおきくなったら、かまのパパをもたせてね」
屈託なく口にしたその言葉がどういう意味を持っているのか、理解できるようになった頃にまた同じことを言ってくれるだろうか。
できることなら危険なことはして欲しくない。傷つくどころか命さえ落としかねない世界なのだということは、いやというほど判っている。
でも本人が決めたことなら反対するのは親のエゴというものだし、そもそも俺もかみさんもそんな資格はない。職人と武器の魂の繋がりが何者にも代えがたいほど濃密な経験だということを身をもって知っている。
むしろ親を見て同じ道を選びたいというこの娘を誇らしく思うべきなんだ。
この子が職人になりたいというなら、俺は俺のできることをしてやればいい。
この子が健やかに過ごせる世界であればいいと、死神様と共に俺はいる。
神の武器となったこの俺が使命を全うする日など来なければいいと祈りながら。
通りがかったおばさんが薄闇のなか長物を振り回す幼女を見て腰を抜かしてしまったので、俺は急いで人間の姿に戻るとマカとスーパーの袋と赤い鞄を両脇に抱えて全力で走り去った。
※
「あんたデスサイズのくせにそんなことしたんですか」
マカの才能について担任として振ってあげたら、とんでもない昔話に付き合わされた。
いくら職人の資質を持っている血を分けた娘だからって、デスサイズを素人に、それも幼児に持たせるなんて危険にも程がある。
この人は自分がどんな存在か本当に判っているんだろうか。
死神様の強大な魂と共鳴することのできる武器なんだよ、今のあんたは。
「だってさあ、可愛かったんだぜ。一生懸命な目してさ、パパみたいなかっこいい武器を作るなんて言われたら、嬉しくなっちゃうだろ」
「生憎俺は武器でも父親でもないんで判りません」
即答で切り捨て、先輩が淹れてきてくれたコーヒーを口に運ぶ。
先輩がこの世で一番かっこいい武器なのは誰よりもよく知っているつもりだけどね。娘にかっこいいと言われて調子に乗る父親の心理など判ろうはずがない。
「約束したのになー。また持って欲しいなあ。ソウルに遠慮してんのかなあ」
「何言ってるの。今じゃ近づいただけで邪険にされるくせに」
「いや、あれは照れてるだけだ。思春期の娘は難しいもんなんだぞ」
相変わらず頭の中が平和な人だ。世の中みんなが先輩みたいに誰彼構わず愛情を振りまけるわけでも、それを許せるわけでもないのに。
冷たい仕打ちの原因が自分の言動にあるということに気付いているのに、自重せず許してもらおうとするのが、先輩のだめなところなんだよ。
「そもそも死神様の許可なく他人に持たせていいんですか?」
「鎌になったのはバレてたけど、親子のスキンシップですって言ったら笑ってくれたぞ」
あの飄々としたノリで答える姿が眼に浮かぶ。主従揃って暢気なことを。
そりゃあ、その時に何かあっても死神様は痛くも痒くもないだろう。もし小さなマカがそれで怪我をしたとしてもそれは先輩の責任だし、せいぜいかわいいデスサイズが嘆き悲しむのを慰めるくらいだ。
溜息をついて苦笑する。娘が可愛いならもう少し賢くなってもいいのにね。先輩の愛情はとても深いけれど愚かだから、いつも脇が甘くて迂闊なんだ。
「商人の金貨、って知ってます?」
「なんだそれ」
「裕福な商人は子どもが生まれると玩具のかわりに金貨を与えて遊ばせるんだそうですよ。そうすると自然に鑑識眼が養われて、本物と偽物の区別がつくようになる」
「へえ~」
「マカもそうなのかもしれないね。ソウルはいいパートナーですよ」
最強の武器が目の前にいる環境で育てば、職人としての感性が自然と刺激されるだろう。
マカは自分で魔鎌のソウルを見つけてコンビを組んだと聞いた。パートナー選びは運もあるが、マカの場合は磨かれた職人の感性が導いたのかもしれない。
「さっすが俺の娘だ!」
腕を組んでうんうんと自慢げに頷く。
臆面もなく娘自慢をする親バカも、これに関しては無意識にせよ本人の手柄かもしれないのだから否定できないか。
「それにしても、よくその時のマカは無事でしたね」
「ん、ああ、俺が波長制御したからな。昔誰かさんがさんざん仕込んでくれたおかげで、その辺のコントロールはうまいんだぜ」
おや。
「それって俺のこと褒めてくれてます?」
「職人としてはな」
「もっとちゃんと褒めて欲しいなあ」
「調子に乗んな」
先輩の武器としての感性を職人の俺が共に磨いて、俺から先輩を奪った女が産んだ娘の感性を先輩が磨いて、彼女はいま、俺の生徒になっている。教師として、職人の先達として、どれだけ育つのか鍛えてみたいと思えるほど優秀な教え子に。
死神様じゃない神様は皮肉な巡りあわせがお好きらしい。
(おわり)
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商人のたとえ話は、正しくは金貨ではなく小判だそうですが、世界観にあわせてみました。
パパの「娘を愛している父親」というのは、私にとって萌えポイントです。
教員になってからのシュタインは、生徒が教授法の研究結果=作品になるのでそういう意味では研究者として楽しそうだなと思います。
(シュタマカにならないのは、やっぱり「あの女の娘」発言が私の中に引っかかっているからでしょう)
(シュタ←マカはアリかな、と思います。思春期のお嬢さんが格好いい異性の教師に憧れるのは正常ですもの)
パパの特殊能力は波長制御、正確には職人の波長を制御及び増幅という、魔武器にとっては基本にして一番大事な能力が高いんじゃないかなと妄想しています。
(前提条件として魂の波長があう職人であることが必須ですが)
本人ひとりではぶっちゃけ硬いくらいしか役に立たないんだけど、組んだ職人の魂の強さや大きさに喰われることなく波長をきっちり受け止め返し、共鳴率が上がればさらにその効果は倍化される。
職人が強ければ強いほど、威力が発揮される武器。
って言ったら、某さんにバイキルトって言われました。そうそうまさにそれ(笑)
なので、死神様が持つのに一番ふさわしいんじゃないかと。
天性の才かもしれないし、デスサイズに昇格した時に開眼したのかもしれないし、仔シュタにスパルタされた結果なのかもしれないし、性格的なものもあるかも。
所詮は都合のいい妄想です。