【カミサマ】
騒々しい場は好きじゃない。
できればこんな所からさっさと抜け出して、こんな窮屈な服など脱ぎ捨てて、通行人のひとりでも解体しに行きたい。それができないのは、あるひとつの理由のためだ。
今日は死武専の創立記念日前日で、ここは前夜祭のパーティ会場だから。
決して自発的に参加しているわけじゃない。まだパートナーのいなかった去年と同様に面倒くさいから仮病で欠席すると渋ったけれど、死武専の生徒である以上出席は義務のようなものだとスピリットにさんざん言い含められ、ここまで引きずるようにして連れてこられて仕方なく、だ。
眼に痛いほど明るい白色照明を反射する壁、生バンドの演奏と賑やかな談笑。いつの間にか用意されていた白いスーツは窮屈でたまらないし、俺をここまで引きずってきた相棒は会場に入った途端にガールフレンドとダンスの輪に紛れてしまうし、豪華な夕食を食べにきたという気もしない。特に話す相手もなく、かといって早々にひとりで帰ってまたスピリットにどやされるのも面倒だ。どうせ自分はパーティの後も女の子と姿を消してしまうんだから放っておいてくれればいいのに。
仕方がないので腹に何か入れようと、料理の並んだ円卓を覗き込む。標準的な大人の身長に合わせて用意されているそれは成長期にさしかかったばかりの俺には少々高くて、奥の方は手が届かないからうまく取ることができなさそうだった。普段こういうことは黙っていても世話焼きのスピリットが勝手に料理を取り分けてきて、やれ野菜も食えだの何だのと押し付けてくるから、自分でするのは本当に面倒くさい。うんざりしてなけなしの食欲も失せてしまった。
お取りしましょうかと声を掛けてきたウェイターからオレンジジュースのグラスだけを受け取る。とりあえず会場内にいれば文句はないだろうから、人気のないバルコニーにでも出て時間を潰そう。
「シュタインく~ん。」
頭上から声を掛けられ、振り返って仰ぎ見る。視認する必要もないその独特の声は、俺が必ず話をする気になる唯一の相手のものだ。但し、声の主は普段鏡の中か謁見用のデスルームにいて、こんな風に話しかけてくることなどない。
そこから出てくるのは一年に一度、この日だけ。死武専の創立者にして本物の神である死神様がそこにいた。
「死神様、こんばんは。」
「うぃっす~楽しんでる~?」
「つまらないから早く帰りたいです。」
「相変わらず正直だねぇ。」
からからと笑うひょうきんな仕草は、とても死と秩序を司る神の現身とは思えない。
「つまらないなら私とちょ~っとお話ししてもらってもいいかな?」
「構いませんけど。」
口の利き方に気をつけろと注意してくる当代のデスサイズ様をまあまあと制すると、死神様は壁際のスツールに俺を促した。
やはり俺には高めにできている黒のスツールに座るために、座面に空いた片手を突き踵を足元のバーに乗せ、軽く勢いをつけて背中から腰掛けるよう腕に体重を掛け----ようとしたところを、死神様の大きな手が後ろから両脇に差し入れられてきて、そのまま上に引き上げられる。驚きのあまり、手に持ったグラスの中身が波打つ。
「ぅわっ!!」
思わず声を上げバランスを崩したけれど、その手はしっかりと俺を支え、ゆっくりと椅子の上に座らされる。
幸いオレンジジュースは零れていなかった。スピリットが俺の好みに合わせてセレクトしたと押し付けてきた飾り刺繍のついたシルクのスーツに果汁の染みなど作ったら、普段着に血液や実験薬の染みをつけたまま放置した時以上に面倒くさいことになっていただろう。
誰かに椅子に座るための補助をしてもらったなんて、記憶にある限り初めてだ。幼児の時から周囲の大人には距離を置かれていたし、何より他人に触られるのが嫌だ。俺に触ってもいいスピリットだって頭ひとつ分の身長差しかないからこんな真似はできない。他の奴だったら余計なことをするなとメスの銀光が閃いているところだ。
しかし相手は神様、ここは礼を言うべき場面なんだろうか。
「あ・・・ありがとう、ございます。」
「座りづらかったら人の手を借りていいんだよ?」
「いえ、自分で座れますから」
「そぉ~お? 余計なことしちゃった?」
「・・・・・・」
動揺と羞恥と、一応神様だから本音は言わない方がいいだろうという考えがないまぜになって、返す言葉が浮かばない。
死神様は脚の部分を軽く折り曲げ屈み込んだ。どうやらご自身はスツールに座らないらしい。それでも顔は俺よりも高い位置にある。
眼が合わせられずに視線を泳がせると、足の届かないスツールから小さな俺が転げ落ちないよう手を添えられていたことに気付く。死武専の職人にそんなこと必要ないのに。この俺ですら見なければ気付かなかったほど自然にさりげなく。
「シュタイン君。成績はいいみたいだけど、毎日楽しくやれてる?」
「課外は面白いけど座学はつまらないです。」
「君は賢いから通常の授業なんてあまり意味がないもんねぇ。でもまあスピリット君に合わせてあげてその辺はうまくやってちょーだい。」
「はい。」
「死武専のモットーは『殺伐だけどウキウキライフ』だからね~。授業ばっかりじゃなくて楽しんでくれないと。お友達とかできた?」
「別に欲しくないです。つまんない奴と一緒にいる意味ないし。」
友達なんていう拘束を作ってべったり過ごすなんて吐き気がする。俺は自分のしたいことをして過ごしたい。全てを解体し知り尽くしたい。職人として強くなりたい。それだけだ。他人なんてスピリットさえいればそれでいい。
「他の人と過ごすのも楽しいと思うよ~?」
「死神様もスピリットみたいなこと言うんですね。」
「だって面白いじゃな~い。自分以外の人って。」
「面白い、ですか?」
「うん。人って毎日少~しずつ成長していくからね~、見ていて面白いと思うんだよね~」
「それは人間ではなく神様だからじゃないですか。俺は別に面白くないです。」
「そうかもねぇ~。でも私も最初からみんなと仲良しだった訳じゃないんだよ。死武専を作った頃なんてねぇ、小さい子には随分と泣かれて困ったもんだったのよ~。」
意外なことを口にされてちょっとだけ驚き、思わず顔にでてしまった。確かに死の象徴という根本は畏怖に値するけれど、このコミカルな神様が子どもに泣かれて困っている場面は想像できない。
「そんなに驚いた? 昔はもっといかつくてねえ、ブイブイいわしてたもんなのよ。」
ブイブイいわすって何だろう。知らない言葉だ。あとで調べてみよう。
「でもそれじゃあみんなと仲良くしてもらえないからねえ。お面をかわいくして演技してたらすっかり板についちゃった♪」
さらりとした軽い口調で紡がれた言葉の裏にある事実に、気付く人間がどれだけいるだろうか。そもそも子どもの一職人に言っていい内容なんだろうか。
「あの、死神様・・・?」
演技って。
どういう意味ですか。
聞きたいけれど聞くのは憚られるような気がして、さすがの俺でも口にすることはできない。以前に興味本位で死神さまの魂を見ようとした時に感じたのと同じく、辿り着けた者だけが知ることのできる真実の一端なのだろう。
言葉の継げないままお面の顔を見上げる俺に、表情が見えない作りもののその下で死神様は微笑んだ、ような気がする。
「本当にみんなを好きになるのはスピリット君みたいな子じゃないと難しいと思うんだけどね。ただ、他の人と仲良くできるようになると世の中楽しいことが増えるのよ。いろいろとね。」
「そんなものですか。」
「そんなものだよ。」
「面倒くさいですね。」
「うん、面倒だけどね~。その面倒も楽しいっていうかね~。」
それが理解できるような人間に俺がなるというのだろうか。そりゃあ、発見が多ければ多いほど面白いと感じることも多くなるだろうけれど。
そんな風に感じることができる日が俺にくると死神様は思っているから言っているのだろうということは想像できるが、カミサマの考えることは判らない。
ただ、日頃同じようなことを他の誰に言われても苛つくのに、不思議と俺の心がその言葉にささくれ立つことはなかった。
「死神様!」
聞き馴染んだ声に顔を向けると、料理の取り分けられた皿を持ち、首から何かをぶら下げたスピリットがこちらに向かってくる。
「シュタインお前またなんかしたのか!?」
「いやいや、私がシュタイン君をナンパしたのよ~。」
「へ?」
スピリットは俺が祝いの席で何かして注意されているとでも思ったらしい。大きな手を左右に振る死神様の言葉に呆けた顔をする。
「死神様、これナンパだったんですか」
「そうそう、これはナンパだよ~ん。シュタイン君も楽しく過ごせるようにね~。」
どれが本気でどれが冗談なのか本当に判らない。
「すみません、ご迷惑をおかけしました。」
「スピリット、ガールフレンドは放ってきていいの?」
「一通りみんな挨拶してきたからな。それよりお前、メシ喰ったか?」
「食べてない。食べたくないし。」
「何言ってんだ、今日の晩飯も兼ねてるんだから帰ったって喰うもんねぇぞ。」
「だって届かなかったんだもの。スピリットがいなかったから。」
むう、と軽く唇を尖らせてみせると、突然死神様が楽しそうに笑い出した。
「何ですか死神様。」
「いやいや、シュタイン君はスピリット君にはそういう顔を見せるようになったんだねぇ~。」
「え、お、俺?」
何を言われているのか判らない俺とスピリットの顔を交互に眺めながら、なおもくつくつと笑っている。何が面白いのだろう。
「いやいや、いいことだね~。ところでスピリット君、その首に下がってるのはカメラ?」
「あ、はい。シュタインがスーツ着てるのが珍しいから撮っとこうと思って、シドに借りてきました。」
「なんでそんなの撮らなきゃいけないのさ。」
「まぁまぁ、いい記念じゃない。私も1枚入っちゃおっかな~?」
死神様はゆっくり立ち上がると、また俺の両脇に手を差し挟んで椅子から降ろさせた。
「え、死神様のお写真って撮ってもいいんですか?」
「全然構わないよ~ん。鏡じゃ写らないし普段デスルームにカメラは持ち込めないから、今日がチャンスだよ~?」
「やったあ、すげー! よしシュタイン、3人でとろーぜ。」
「いいよ俺は。」
「は~いここ並んで~。あ、デスサイズ君、シャッター押してちょーだい。」
スピリットが近くのテーブルに皿を置き、傍に控えていたデスサイズ様にカメラを渡して俺の隣に立つ。死神様は後ろに立って、包み込むようにふたりの肩から腕にかけて白い大きな手を添える。
「お前もっと楽しそうに笑えよ。」
「うるさいな。」
「撮りますよー。」
カシャリという音がして、この瞬間を小さく切り取った。
死神様と記念撮影という貴重な場面を見たギャラリーが群がってきたので、できるだけ他人と余計な接触をしたくない俺としては早々にこの場を立ち去りたくなった。
その様子を察したらしい死神様は、俺とスピリットに「ま、楽しく過ごしてちょ~だい。」と手を振って、ホールの上座へと移動していく。その様子を見送りながら、スピリットはテーブルに置いておいた皿を取ってきて俺に差し出す。それなりにバランスよく盛られた皿にはお互いの好物の姿だけがあった。
「なあ、死神様と何の話してたんだよ。」
「別に。」
「別にじゃねえだろ。」
「ナンパだって言ってたじゃない。」
そう。ナンパだから意味のある会話をしていたんじゃない。そういうことだ。
スピリット以外の奴と過ごすことを面白いと感じるなんて、そんな日が俺に来るとは思わないですよ。死神様。
「お前ナンパしてどうすんだよ。」
「さあ。スピリットの方が理解しやすいんじゃないの、ナンパなら。」
「死神様が俺と同じ目的でナンパするかよ。しかもお前を。」
「俺に言われたって知らないよ。」
判るわけないじゃないか。
カミサマの真意なんて。
【おしまい】
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一見死シュタっぽいですが、シュタイン+死神様、むしろ死神様×シュタスピ。
死神様はいつでもみんなを見守ってくださっておいでです。でも口調が判りません。がくり。
自分さえよければそれでいいと思っていた頃と違い、対人スキルを身につけてそれなりの関係を築くことのできる今の博士は、鬼神の影響がなければ対パパ以外はかなりふつーの人だと思うんですけどねえ。
天才故に突飛だったり、嗜好が一般的でなかったりするだけで。
対パパはそれこそ好きなようにしたらいいと思います。